自己分析と作業療法士の要素

4.OTになるために必要なこと
 OTになるために必要なこと。それは患者が治療を受けたいと望むであろう医療人のイメージや、自分が望む理想のOT像と解釈し、その要素を考察。しかし、理想的なものを考える前にあえて逆の、自分なら治療を受けたくない医者というものから分析してみよう。まず解説すらいらない最低限度のことと言えば、医学的知識や医療人として信頼感・安心感を与えられる誠実な人柄や雰囲気。これは特に患者の立場からすると、誰でも等しく望むことではないかと思われる。例えば、無愛想でにこりともせず、説明がわかりにくく大雑把な医者。倦怠感に満ち、表情の暗いやる気、自信のない医者の世話になりたい人など、普通はいないであろう。しかし、自信に満ちるのを通り過ぎ、高慢な感じにしか受け取れない医者も、上から見下ろされているようであまり良い気持ちではない。これらのことから、OTに限らず医療人には最低限度の要素として、知識があり、明るく誠実、しかし謙虚な人柄というものが重要だと思われる。これを前提とした上で、さらにリハビリ職であるOTに特には必要と思われる要素をいくつか挙げ、その特徴と現時点での自分の状態とを比較してみる。

・客観性、分析力
作業療法を行なう上で、分析力は最も重要な要素の1つである。患者の現状、主訴、今後の展望、どんな治療が良いか、治療の効果、リハビリ中の身体的・精神的変化。あらゆる場面の評価において必要となる重要な能力である。そして、その分析は主観的なものよりも、客観的なものである方が万人に説得力があり望ましい。そのためには、幅広い勉強による客観的な基準を身に付ける、多くの患者と接して経験を積むことが不可欠であろう。しかし、生活というのはその事柄自体が個人の生活歴、価値観等の主観的要素を多く含み、完全に客観的に判断するのは困難な場合も多々あると思われる。そこで生活を客観的・主観的の多面的な分析をできるようになるのが良いと考えられるが、それは一朝一夕では困難であり、経験が必要になると感じている。個人的には分析は趣味でもあるが、まだまだその判断する基準となる知識が明らかに弱い。特に治療面に関しては全くないので、今後最も力を入れて学びたい事柄である。

・計画性・長期的展望
 これは分析力と重なる部分が多いが、やはり必要な事柄の1つ。授業で「半年後、1年後、10年後の患者の状態を予測できるように」という発言を受けたことがあるが、個人の生活を意識するのであれば、それくらい長期の展望を持てるようになる方が望ましいであろう。その長期的展望を踏まえた上で、段階的な目標を設定。計画的に、継続的に治療を行なうことが必要と思われる。OT側から明らかに無理な目標、遅すぎる目標を立てないよう、適切な治療計画を立てたい。これもまだまだ自分には足らない部分である。勉強計画すらなかなか立たない段階なので、もう少し、普段から現実的かつ自己の成長を促せるような計画を立てる習慣をつけていきたい。

・知的好奇心、向上心
 患者と良い信頼関係を築くには治療的な会話以外にも、患者との日常的な会話が必要と思われる。治療に関しては何でも話してくれるが、その他のことではあまり共通の知識がなく、会話が弾まないようでは自己の治療的利用ができているとは言い難い。治療に訪れる人々は老若男女、生活歴、趣味・嗜好も本当に様々なものである。その患者たちと等しく対応するには、治療者自身の幅広い知識があると非常に良い。そして、その幅広い知識・趣味は作業療法の治療メニュー作成の場面でも活用できるであろう。仮に園芸が趣味である半身不随の70代の女性患者の主訴が「もう一度以前のように花を育てたい」というものだとする。ここで、老人と何を話していいのか全くわからない人では、容易にわかる人と比べてその時点で不利になる。また、園芸に興味がないOTでも、客観的に園芸という作業を分析してリハビリメニューを組み立てられるかもしれないが、やはり園芸好きのOTよりは余計な労力をかけることになるのではないだろうか。そして、自分自身でその本当の面白さを実感できていないため、患者にとってはあまり楽しく積極的に行いたいと思えるメニューでない可能性もありえる。花好きの気持ちは、同じく花が好きな人にしかわからないものであるというのも、ボランティア経験を通じて、経験としてよく実感している。趣味や知識は新たに、必要に応じて吸収していくのでも良いとは思うが、最初から幅広い趣味や全世代に対応できる知識があるに越したことはない。その点で、自分は趣味は多く幅広い。同世代の若者、中年、老人、身体障害者、精神障害者、外国人と幅広い交流関係を築いてきているのも有利であるかもしれない。雑学好きで知的好奇心を常に大事にしているので、どんな世代ともある程度の共通の会話はこなすことができる方だと感じている。しかし、唯一、子供だけはどうしても苦手であり、理屈ではなく、どうにもうまいこと対応ができない。発達障害は作業療法の重要な分野であるので、今から自然な対応ができるよう、ボランティアなどを通じて積極的に触れ合う機会を持っていくべきであろう。
 また、医療は常に進歩、変化する。その新しい情報を吸収し続け、実践していくには次項の目的意識の維持と同時に、高い知的好奇心を持つ必要がある。

・目的意識
 これは常にどんなOTになりたいか、どんな治療をしていくか、なぜ治療をしているのかを見失わないことである。作業療法の目的はただの手工芸ではなく、あくまで治療。患者の生活、役割を取り戻す援助をするために作業を施すことである。このことを忘れてただの訓練になったり、病院内での生活しか見えなくなったりしないように注意したい。また、目的意識の薄れは現場での慣れ、しかも悪い意味での慣れを誘発しやすい。いつでも身体に障害を持つ人と接するうちに、慣れにより「身体障害の特徴とはこうだ」という決め付けを持ち対応するのは、生活を考える上で重要な患者個人が見えなくなる原因となる。決して大きな枠組みに詰め込んではいけない。また、慣れは油断に繋がり、危機管理の低減も招きやすい。さらに、身体障害にあまりにも慣れてしまい、「この程度の症状なら大丈夫」と、患者は初めての事態で苦しんでいるにも関わらず、その心情を軽視して軽はずみな発言をすることのないよう、常に正しい目的意識を持ち、患者個人を見つめ、生活を意識して治療に専念すべきである。ましてや決して、「自分は可愛そうな人を助けてやっている」という考えは持たないことだ。それは世間一般に広がる差別意識と同じである。障害者はかわいそう、弱いから特別な扱いをしなければならないという意識は捨てておきたい。一個人として尊重し、回復の手助けをさせてもらっているという謙虚な意識を持ちたい。個人的には大学時代のゼミ教授に、この目的意識の必要性を嫌というほど叩き込まれており、常に意識している事柄でもある。今後も忙しさを理由に、目的を見失わないよう注意しつづけるべきであろう。

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